屈辱的な瞬間

先日の日曜日、近所の紳士服店にスーツを買いに行きました。
スーツを2着持っていて、これを着まわしているのですが、うち1着がかなりヘタってきているからです。
だましだまし着ていましたが、さすがにそろそろ限界。
ネットで見ると、開店前に並ぶと39,000円以下の商品が9,000円になる割引券が貰えるとのこと。
無事割引券を受け取り、ムチムチの可愛いお姉さんと一緒に選び、黒で少しストライプの入ったスーツを購入。
料金は仕立てや消費税で、11,840円でした。
それほどお得だったのか分かりませんが、15,000円の予算を組んでいたし、そんなに悪い物でもなさそうだしまあよかった。
スーツを新調した。
さあ、明日から仕事頑張るぞ!
と普通の人はなるのでしょうか?
でも僕はそんなこと微塵も思いませんでした。
それどころか、店からの帰り道、僕は屈辱感で一杯でした。
僕は、スーツを買ったのではなく、買わされたのです。
確かに12,000円でスーツが買えれば安いかもしれませんが、普通の服からしたらめちゃくちゃ高い。
チノパンにジャケット程度なら、その半額も出せば十分に手に入ります。
倍の値段を出して、動きにくく窮屈なスーツを買うなんて、無駄遣い極まりない。
では、スーツを着ないという選択肢はあるのでしょうか?
みんながスーツを着ている中で、それを拒否する。
仕事ができずにただでさえ疎まれている僕にとって、そんなことはできません。
間違いなく、さらに仕事がやりづらくなるでしょう。
もちろん、会社を辞めてフリーターにでもなれば、一時的な服装の自由は得られるかもしれません。
ただ、安時給で働くことで、長期的に見た自由は大きく損なわれます。
現状では、自分のために大人しくスーツを着て、会社に行くしかない。
無駄なスーツを買って、嫌々会社に行く。
この極めて不合理そうな選択をすることが、実は一番合理的なのです。
これは僕に実力がないことが原因。
悔しいですが、認めざるを得ない残酷な真実。
ただ、このまま一生泥水の中でもがき続けるつもりはありません。
貪欲に収入を得る機会を模索して、節約を徹底し、運用で加速させる。
スーツを着ないことが合理的な選択肢になるように、僕は突っ走ります!
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