頑張っても金銭的にはそんなに差がつかない

僕の会社は、基本的に年功序列的なところがあります。
それでも50歳過ぎて部長になる人もいれば、ずっと平社員の人も。
同じ会社に入社して、同じくらいの年齢でも彼らの努力量は全く違います。
これまでの経歴なんかを聞くと、部長が厳しい部署を渡り歩いてきた一方で、平社員の人は明らかにゆる~い職場でやってきた人が多い。
同じ会社でも、仕事量やかかるストレスは全く違うものでしょう。
もちろん、もともとの能力や世渡り力もあるでしょうが、努力量と役職は概ね正比例するはずです。
では、努力量と収入はどうでしょうか?
もちろん、相関関係はありますが、努力量ほど収入は伸びないというのが、僕の結論です。
年収だけ見れば、400~500万円程度の差がついているかもしれませんが、税金、保険等の累進課税は恐ろしい・・・
さらに、部長ともなれば様々な会に呼ばれ、そこでも多く払わされ(払わざるを得ない雰囲気になり)負担が大きくなります。
公的だけでなく、私的にも所得再分配が働いて、可処分所得の差は縮まっていきます。
平社員が温い仕事で定時に帰る一方で、困難な仕事のために日々残業して、大きなプレッシャーを抱えた恩恵はどれほどあるのでしょうか?
家・車・教育などワンランク上の生活ができる程度でしょう。
毎日、豪華なレストランで食事して、複数の愛人を持ってなんて、普通のサラリーマンじゃとてもできません。
労働の目的は99%金と考えている僕にとって、これじゃ大変な仕事を頑張る意味なんてありません。
仕事で何かを成し遂げたい、出世して支配欲を満たしたいと考えなければ、会社の中で頑張ることなんて非常にコスパが悪いように見えます。
別に会社内に限ったことではなく、事業等で大成功を納めない限り、努力の差ほどのオイシイ思いはできないというのが実感です。
必死に頑張った人が稼ぎ出したお金が、何も考えていない怠惰な人間の遊興費に流用されていくのが社会。
だから、辛い努力をするのは辞めます。
もちろん何かに打ち込みたいというのはあるので、楽しい努力をします。
僕にとっては、節約・筋トレ・ブログが楽しい努力なので、これらに力を使っていきます。
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