人の不幸が大好き
ここ10年ぐらい、格差社会が問題になることが多く、よく報道番組でもやっています。
その時疑問に思うことがあります。
格差社会になっても、貧乏な人の生活も押し上げられるから、いんじゃない?
グラスタワーのように、頂点の人が得たワインがこぼれ落ちて、末端の人たちにもいきわたります。
実際に、アルバイトの時給も上がっています。
税や社会保障で、所得再分配機能も働きます。
また、大金を稼いだ人は、多くの人の生活に貢献したはず。
Googleを使い、UNIQLOの服を着ることで、それほどお金をかけなくても充実した生活を送ることができる。
才能もなく、努力もしない貧乏人でも、それなりの暮らしができるのは、高所得者の恩恵を受けているからに他なりません。
だから、感謝するのが筋なのに・・・
なぜ彼らは、不満に感じるのでしょうか?
所詮、幸福感など相対的な自分の位置でしか感じられないからです。
これまでメザシだったおかずが、サンマになったら満足なはず。
しかし、隣人がメザシからステーキになったら、いくらサンマでも不満。
逆に、メザシのままでも、いや漬物になっても、隣人がおかず無になったら、満足。
結局、人は他人の幸運が大嫌いで、不幸が大好き。
自分が不幸になっても、他人がもっと不幸になれば、幸運になれる。
自己啓発本には、「他人のことなんか気にせずに・・・」とか書いてあります。
その通りかもしれませんが、それが本能なんだから、仕方ありません。
だったら、その感情を利用していきましょう。
社畜どもが、重い体と気持ちを引きずって、満員電車に揺られながら会社に行く。
仕事でトラブルがあって、テンパっている。
夜は残業。
そんな時に、僕たちは・・・
好きな時間まで寝て、ジョギングして汗をかく。
昼間に引きこもって、ネットして本を読んで。
飯食って、風呂入って、目覚まし時計をセットせずに寝る。
社畜が大変な思いをしていると考えると、何倍も幸福を感じられるはずです。
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