「健康で文化的な最低限度の生活」について僕なりの定義

「健康で文化的な最低限度の生活」という言葉を、皆さんも聞いたことがあるでしょう。
憲法第25条で生存権として規定されており、生活保護制度もこれを元にしています。
では具体的に、「健康で文化的な最低限度の生活」とは、どのようなものでしょうか?
様々な学説があろうと思いますが、あくまでも僕なりに考えてみました。
①量的、質的に満足のいく食事を取ることができる
②安全な環境で、寝たいだけ眠ることができる
③悩みやストレスで、生活がままならなくなることがない
④必要な医療を受けることができる
⑤安全やプライバシーを確保できる住居がある
⑥みんなが持っている生活必需品は揃えることができる
⑦欲しい情報にアクセスできる
⑧我慢しない程度に娯楽を楽しむお金と時間がある
以上①~⑧が満たされる状態を、「健康で文化的な最低限度の生活」と定義してみました。
この健康で文化的な最低限度の生活が最低条件であり、その上でプラスαの幸せがあると思っています。
言い換えると、最低条件が満たされていない以上は、プラスαもへったくれもないんじゃないかと。
能力が認められる、豪華な暮らしができるみたいなのは、あくまでも最低条件があってこそ意味がある。
自分の生活を見てみると、全て満たされていると思います。
しかし、1年前(セミリタイア前)の自分を振り返ると、②③については相当怪しい。
平日はほぼ毎日、特に冬は無理やり布団から出ていました。
仕事外でも悩みを引きずって、平穏な生活をストレスが容赦なく侵略してきやがりました。
決して僕だけではなく、同じような方も多いんじゃないでしょうか?
寝たいだけ眠ることができない、ストレスがあって楽しめない。
これじゃあとても、健康で文化的な最低限度の生活を満たしていないのではないでしょうか?
安定した収入があり経済生活は豊かだけど、心身ともに健康状態が疎かになっている。
一定数のサラリーマンの生活は、不健康で超文化的なアンバランスな生活だと思います。
少し文化的な要素(娯楽)を削ってでも、心身の健康を大事することが適正バランスな気がしています。
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