セミリタイア体験記(就職前~社会人3年目)

受験シーズン真っ只中ですね。
僕は受験生時代、合格体験記を読むのが好きでした。
勉強法の参考にもなりましたし、何よりも息抜きとして面白かったです。
そこで3回に渡って、僕のセミリタイア体験記を書いてみようと思います。
第1回目は、就職前から社会人3年目まで。
その時の仕事の状況や、資産、セミリタイアへの思いを中心に書いていきます。
(就職前)
そもそも僕が、三重から横浜の大学に進学したのは、「東京に行けば、将来何か面白いことができるんちゃうか」という思いです。
当時一番なりたかったのが、芸能レポーター。
興味のある分野なので、仕事に情熱を傾けることができるかなと思っていました。
しかし、コミュ障でとても無理だと思い、断念しました。
特にやりたいこともなかったので、職種よりも、住みたいと思っていた福岡か札幌に行ける仕事という目線で考え始めました。
たまたま同じゼミに公務員試験を目指している人がいて、「あ、公務員なら地域を限定できるな」と知って、試験を受けることにしました。
迷った挙げ句、札幌は気候に対する不安と、実家から遠く帰省も大変と思い、福岡にしました。
大学3年の4月から勉強を始めて、約1年間の勉強で合格。
大学卒業と同時に、横浜から福岡に引っ越しました。
福岡自体に興味があっただけで、仕事に対しては特に思い入れがなく、バイト等で仕事が絶望的にできないのは分かってたので、「いや~たぶん仕事ヤバいな・・・」とかなり不安がありました。
それでも9時5時で、まったり仕事のできる公務員のイメージで、早期に仕事ができないと周りに認識してもらい、単純作業の業務にでも就かせてもらえばと思っていました。
セミリタイアについては、定年まで仕事なんて想像できないぐらいに思っていました。
就職前の段階で、仕送りやバイト等で口座に残っていたお金は、30万円ぐらいでした。
(社会人1年目)
1ヶ月弱の新人合同研修を終えて、とある部署に配属になりました。
その部署に配属されたのは、新人では僕だけ。
同期との付き合いが苦手だったので、ホッとした記憶があります。
僕の教育係になってくれたのは、50代中盤男性のMさんでした。
最初はMさんの補助的な業務で、次第に仕事を引き継いでいくみたいな流れ。
Mさんは、優しく業務歴も長いんですが、職人タイプで丁寧に分かりやすく教育していく感じではありません。
質問すると、バーっとやってくれる感じで、全然身についていませんでした。
6月ぐらいで完全に自分の担当業務が振り分けられましたが、この時は右も左も分かっていない状況。
途中で何回か、初めてその業務に就く人達を集めての研修があるんですが、説明もよく理解できません。
それでもやるべき仕事はあって、聞きながらやっていくんですが、全体像が見えずに、不安ばかりが募っていきました。
同期に話を聞いても、やっている業務は僕よりも先を行っています。
僕が仕事ができないことが、確信に変わりました。
6月中旬のある時に、分からない部分を質問して、教えてもらいましたが、何を言っているのか全然分かりません。
とても処理できそうにないと感じました。
その前からかなりメンタルをやられていたので、「これはダメだ、もう辞めよう」と決意。
その日職場の私物を持って帰り、明日は仮病を使って休み、ハローワークに行って転職の相談をしてこようと思いました。
貯金も50万円ぐらいにはなっていたので、再就職までの繋ぎにはなるだろうと。
家に帰って、一応親に言っておこうと思い、実家に電話。
母親に「とても仕事に対応できないから、もう辞めることにした」と告げると、想像以上に、説得されました。
最後はちょっと泣きながら、「できないことは正直に言って、もう少しやってみたら」と言われて、さすがにその反対を押し切っては辞められないなと、続けることにしました。
その後8月ぐらいまでは、無知で騙し騙し、対応もボロボロで、毎日「死にたい」しか考えられずに、メンタルがボロボロでした。
ただ夏の終わり頃から、今まで意味もわからずやっていたそれぞれの作業が繋がり始めました。
仕事の基礎的な一連の流れを理解して、不安なく進められるようになってきました。
秋以降の1年目は、仕事はそれなりに順調でした。
心の余裕も出来始めて、ジョギングやスポーツクラブでの筋トレ等の趣味も見つけました。
1年目(4~12月まで)の年収は、270万円。
当時から節約生活をしていたので、毎月10万円ぐらい収支がプラスになります。
もちろんボーナスは全額貯金。
1年目の年末時点では、総資産200万円弱になっていました。
年明けに少し利率のいい銀行を調べて、新生銀行の1年定期が1%ぐらいだったので、ここに200万円を預けることにしました。
これが僕にとっての初めての資産運用です。
仕事はだいぶ良くなっていたのですが、最初の数ヶ月間、苦労したことは忘れられませんでした。
異動して初めての仕事になったら、またあの苦しみを味わうと考えると、「これは長く続けられる仕事じゃないかも?」と思いました。
ただしこの時は、明確な意識はなく、まだぼんやりとしたものでした。
(社会人2年目)
2年目になって、仕事内容は全く変わらず慣れてきたこともあり、それなりに順調でした。
もちろん些細な悩みはありますが、年間を通してメンタルが崩壊した記憶はありません。
趣味で韓国語の勉強を始めたり、FPの資格を取ったりもしました。
投資を始めたのも、社会人2年目です。
定期預金に200万円を預けたものの、毎月10万円以上ずつ貯金が貯まっていき、特に使う予定もありません。
そんな時に、投資信託という言葉を初めて聞き、本を何冊か借りて勉強してみました。
その中のインデックスファンドを使った国際分散投資の考えに感銘を受けて、6月からいよいよ投資デビューしました。
毎月10万円ずつを、株・債券・不動産に分散投資するおなじみのやり方です。
1年ものの定期預金が満期になってからは、その分も上乗せして粛々と積立をしていきました。
投資を始めたのは、リーマンショックから回復の回復を見せ、日経平均が1万円に戻ったあたり。
その後は、大きな変化はなく、若干のプラスリターンでした。
株価が気になって仕方ないみたいなこともないし、特に国際分散投資は僕にあっているぞと思いました。
2年目の年収は、383万円。
年末時点では、総資産397万円になっていました。
投資の本を読むと、資産運用をして複利で運用することが書かれています。
このままのペースで積立していくと、50歳ぐらいで資産は余裕で1億円を超える計算になります。
50歳で1億円貯めて完全リタイアする、そして次は札幌に住む。
結婚なんて100%無理なので、仕事さえ続けれればかなり現実的な計画に思えました。
2年目でおぼろげながら、早期退職の目標が完成しました。
(社会人3年目)
3年目も、概ね仕事は平和でした。
仕事内容も変わらず、淡々とこなしていた記憶があります。
ただ異動前に放置気味の案件を片付ける際には大変で、少しメンタルがやられました。
資産運用も、引き続き給与から月10万円の積立を続けていました。
市場に大きな変化もなく、若干のプラスリターンが継続していました。
3年目の年収は、401万円。
年末時点での総資産は、627万円でした。
ざっくりしたリタイア計画にも特段変化はなく、50歳で1億円は十分いきそうで、完全リタイアして札幌へ移住しようと思っていました。
4年目には異動になる可能性が高く、不安に感じていました。
一方で最初は仕事に超苦労したけど、その後は慣れて比較的平和に過ごせた自信もあります。
新社会人だったのであそこまで苦労したけど、異動だったらもう少しスムーズに馴染めるんじゃないかとも思ってしまいました。
当時の仕事は公務員にしては珍しく、数字で成果が出る部分もありました。
その成績が良くて、職場の15人ぐらいの中で、TOP3には入っていました。
そのため、上司との面談の際に「僕は仕事がダメダメなんで、内容が簡単にところに行かせてください」と言うことができませんでした。
上司の「金村君だったら、どこへ行ってもちゃんとやっていけるから」という言葉を真に受け、そこそこやる気ある感じを出してしまいました。
結局これが大失敗で、4年目には人生最大のピンチを味わうことになります。
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