佐々木君登板回避問題で社会のパラダイムシフトを見た 今後は係長がヤバい

ご存知の通り、佐々木君が地方大会の決勝で登板しなかったことが大きな話題になっています。
注目なのは、佐々木君自身は投げたかったのに、監督が将来を考えて投げさせなかった点。
多くの批判もありますが、特にインテリ層は総じて監督の判断を賛美しています。
対して、「チームのみんなのために」とか「時には無理をすることも必要」的な意見は、時代錯誤のレッテルを貼られます。
この一連の流れを見て、社会のパラダイムシフトを見ました。
以下①~③です。
①個人が組織のために犠牲になることは許されない、組織は個人を尊重しなければいけない
②じゃあそのために組織が犠牲になってもいいのか?という問題はあるけど、それを理由に個人に犠牲を強いてはいけない
③個人が組織のことを考えて犠牲になろうとしても、それを止めるぐらいなのが理想のリーダーだ
スポーツ界だけの話ではなく、一般社会としてもどんどんこういった雰囲気になってきているように感じます。
この是非は一旦置いておくとして、今後係長のような身近なリーダーはマジでヤバそう。
割を食うのは係長だと思います。
係のために、個々の係員に過度の負担を強いることは許されません。
かと言って、係の成果をないがしろにすることも許されません。
その2つを両立させようと思えば、自分が負担を被るしかなくなります。
①②によって、以上のような問題が起こることは以前からあったのかもしれません。
しかし今後のリーダー像として、③まで要求水準が上がってくるのではないでしょうか。
今までは登板過多の問題はありつつも、実際に超重要場面で登板回避させた事例は記憶にありません。
しかし今回、監督はある意味佐々木君の意向に反してまでも、自ら決断を下し、結果的に大きな賛辞を受けています。
成功事例ができたことで、パンドラの箱を開けてしまったような気がします。
本人がやると言っているからでは済まされない、リーダーは見極めてストップをかけるところまで期待される。
そんな時代が、すぐそこまで来ているのかもしれません。
個人が尊重される社会の実現は、組織運営をより難しくさせます。
正直係長にここまで求めるのは酷にも思えます。
もしストップをかけずに問題が起きた場合「言いづらい雰囲気だったから、我慢してしまった」と係員に言われ、係長が悪くなってしまうかもしれません。
果たして個の時代は、本当に人を幸せにするのでしょうか?
高みの見物といきたいと思います。
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