『サピエンス全史(上)』(ユヴァル・ノア・ハラリ 著)の読書感想文

やっと図書館で順番が回ってきた以下の本を読みました。
正直翻訳本はあまり好きではなく、途中で辞めてしまうことが多いのですが、この本はすごく面白かったので、紹介したいと思います。
本のキーワードは「虚構」。
アフリカでほそぼそと暮らしていたホモ・サピエンスが、食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いたのはなぜか。
その答えを解く鍵は「虚構」にある。
我々が当たり前のように信じている国家や国民、企業や法律、さらには人権や平等といった考えまでもが虚構であり、虚構こそが見知らぬ人同士が協力することを可能にしたのだ。
ホモ・サピエンスよりもネアンデルタール人のほうが、フィジカルや頭脳、気候への適応力は勝っていたにもかかわらず、虚構を創作する能力を持たず、大人数が効果的に協力できなかったので、ホモ・サピエンスに敗れたとのこと。
この辺は、本で詳しく読んでいただくことにして、今回注目したのが、農業革命に関する以下の記述。
人類は農耕を始めたが、農業革命は狩猟採集社会よりも過酷な生活を人類に強いた、史上最大の詐欺だった。
僕の認識では、農業革命は人類の進歩でした。
しかし筆者は、過酷な生活を人類に強いた史上最大の詐欺とまで、酷評しています。
狩猟採集民は、何十種類もの食料を食べていました。
一方で農耕民は、小麦、ジャガイモ、米など、単一の穀物に大部分を依存しています。
この食事は、ミネラルとビタミンに乏しく、消化にしにくく歯や歯肉に悪い。
結果として、健康状態が悪化します。
また気候や菌の影響により不作になると、一気に食糧難になってしまいます。
複数の食料へ分散していた狩猟採集民に比べて、むしろ農耕民の生活は不安定でした。
そして食糧危機への不安から、農耕民は長時間労働を余儀なくされます。
以上の通り、狩猟採集民は農耕民よりも、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかったのです。
しかし、農耕から手を引くことはできませんでした。
社会が変わった頃には、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいません。
さらに、人口が増加したために、食糧効率のいい農耕から後戻りできない状況になっていました。
より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまう贅沢の罠。
これは今日でも起こるとして、本中で例が述べられていました。
どれだけ多くの若い大学卒業生が、がむしゃらに働いてお金を稼ぎ、35歳になったら退職して本当にやりたいことをやるのだと誓い、忙しい会社できつい仕事に就くことだろう。
ところが、35歳になったころには、多額のローンを抱え、子供たちを学校にやらねばならず、郊外の暮らしには1世帯に少なくとも2台の車が必要で、本当に良いワインと国外での高価なバカンス抜きでは人生は送り甲斐がないという感覚につきまとわれている。
彼らはいったいどうしたらいいのか?
植物の根を掘り返す生活に戻るのか?
とんでもない。
彼らはなおさら一生懸命取り組み、あくせく働くのだ。
歴史の数少ない鉄則の1つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。
とても残念な例ですね。
1万年以上の時が経っても、人類は本質的には進歩してないと言うことでしょうか・・・
結局、贅沢への欲望と、それによる新たな義務の発生という不自由な世界に生きているのでしょうか・・・
以下から、僕の個人的な見解になります。
しかし、1点だけ違いがあります。
それは、現代人が膨大な情報を簡単に得られる点。
僕たちは歴史から学ぶこともできるし、本やインターネットを見れば、成功談、失敗談、経験談を簡単に知ることができる。
圧倒的なアドバンテージであり、幸福追求のためにこれを活かさない手はありません。
贅沢の罠という難題に対して、情報を武器に日々の生活を設計していきたいと思います。
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