公務員の悲しき自殺2件に関する所感

僕は前職より、どうしても公務員関連のニュースが気になってしまいます。
先日立て続けに、公務員の悲しき2件の自殺のニュースがありました。
①新型コロナ、自殺した職員らに帰国者から寄せられた苛烈怒号
②神戸教員間いじめ、市教委担当職員が自殺…調査進まぬ東須磨小と市幹部の間で板挟みか
共に世間を騒がせているコロナウイルスと神戸教員間いじめ問題。
問題対応に当たっている職員さんが、いっぱいいっぱいになってしまったのでしょうか?
自ら命を断ってしまう結果になりました。
これに関する所感を述べたいと思います。
まず個人レベルで言うと、自らのリスク許容度を見つめ直し、絶対安全な仕事に取り組むことが大事だと思います。
こういう事例では、死ぬぐらいなら休むなり、辞めるなりで逃げればよかったと言う人がいる。
それができる人には、サラリーマンや公務員は絶対安全な仕事と言えるかもしれません。
ただ、僕が同じ状況なら生きてはいけなかったでしょう。
過去の経験で、仕事で追い込まれると、とにかく今楽になりたいという考えで頭がいっぱいになります。
仕事が片付くのが1番いいのですが、到底無理そう。
休職・退職でも楽になれるのですが、手続き関係や各種調整等、決して楽ではありません。
まして大混乱の現場で、休職・退職をするのは相当のエネルギー。
進むも、止まるも、戻るも地獄の状態です。
結果、もう死ぬのが最も確実に楽になれると考えて、最悪の選択をしてしまうことは充分にあり得る。
だからこそ、過去の事例で起こりうる最悪の自体+αを想定して、そうなっても自分は大丈夫と言えるポジションにいることが大事かなと。
少なくても、リスク許容度を超えた状態に長期間いるのは望ましくありません。
絶対安全の価値
そして、社会全体のマクロ的な視点だと、問題に対応する人もまた被害者なんだという考えが根付くことを願います。
新型コロナでも神戸教員間いじめでも、自殺した職員に1ミリも原因はありません。
悪いのはウイルスであり、イジメた人です。
確かに、対応者やその組織に不手際があることもあるでしょう。
しかし、これだけ毎度毎度不手際があるってことは、よっぽど仕事ができる人じゃないと適切に処理できないってことじゃないでしょうか?
初めての経験、しかも混乱状態の中で、膨大な情報・意見を調整して、速やかに最適解を導き出す。
かなりの高難易度で、凡人に求めるのは酷じゃないかなと思います。
むしろウイルスやイジメた輩の責任で、突然仕事が降ってきて、激務とプレッシャーに悩まされている被害者。
復旧災害にあたる自衛隊の方々と同じで、もう少し世間的に慰労の気持ちがないといけません。
現場で体を使う人よりも、同じ立場でもなぜか事務をするに対して厳しいのには、いつも違和感を感じます。
当時国内のコロナ死亡者は0。
神戸教員いじめ問題でも、被害者が自殺したニュースまではありません。
にもかかわらず、担当者がある意味世間に殺されたというのは、悲しすぎますね・・・
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