「死ぬほど辛いなら逃げよう」では不十分

自殺問題になると、「死ぬほど辛いなら逃げよう」との話が出てきます。
これはその通りで、逃げることは重要だと思うのですが、少し不十分かなとも。
僕としては、もう1歩進んで、「死ぬほど辛くなる可能性があるなら逃げよう」が適切だと思っています。
逃げることは言うは易く行うは難しで、実際にはかなりエネルギーのいる行為。
仕事の場合は、退職や休職が逃げることに当たるでしょう。
どちらも経験済ですが、精神科で診断書を書いてもらったり、上司と面談したり、必要書類を提出したり・・・
綺麗にやろうと思えば、それ相応のステップを踏まないといけません。
全部すっ飛ばして、バックレる方法もありますが、これこそ大変なエネルギーが必要。
死ぬほど辛い=かなり弱っている状態であり、果たして逃げられるだけの体力が残っているか、甚だ疑問です。
死ぬほど辛い時の自分を信用しないほうが無難かなと思います。
実際に、第三者が客観的に見れば逃げればいいのに思っても、当人はどうすることも出来なかった事例には枚挙にいとまがありません。
そもそも仮に逃げられたとしても、死ぬほど辛い経験はものすごくもったいない時間。
楽しいことなんていくらでもあるのに、悩みで時間を使うのはとても残念かつ無駄です。
だから、死ぬほど辛くなる可能性から逃げる。
可能性の段階で逃げる。
人生経験で場数を踏んでくると、自分のメンタル反応のサンプル数が取れてくるでしょう。
ある環境や行動で、上手くいかないと、どういう事態になるかも、ある程度想定はできる。
で、死ぬほど辛くなる可能性があると判明したら、極力早めに逃げる。
辛くなってから逃げるのではなく、辛くならない予防策としての逃げこそより大事だと思います。
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