僕が僕であるために
「僕が僕であるために」
歌詞の中で「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」という部分があります。
なまじっか成功体験がある人なら、この歌詞に共感できると思います。
僕もそうです。
学生時代から変わった人でしたが、勉強はできるほうでした。
地元で学区2位のそこそこの県立進学校に行き、その中で成績上位。
勉強を頑張り、国立大学に合格。
就職活動では内定を6個貰い、就職。
自分的に細かい挫折は数多くありましたが、周りから見たら、優秀な人という印象だったでしょう。
就職してからは、最初の3年間は大きな問題もなく(もちろん色々大変なことはありましたが・・)過ごし、本部の花形部署へ。
しかし、優秀な人ばかりで全く仕事についていけず。
分からないから聞く→説明されるけどよく分からない→他の人にも聞く→よく分からないし、前の人と言うことが違い混乱→どうしていいか分からなくなる→仕事がたまる、進まない
という悪循環でした。
ここで、優秀な人という僕が僕であるためには勝ち続けるしかなかったんです。
できなくても何とか仕事に食らいつき、がむしゃらにやるしかなかったんです。
実際、一緒に異動した同期はそんなかんじで、仕事に慣れていきました。
でも、どうしてもできませんでした。
もうこれ以上はできないと上司にドロップアウト宣言。
同僚に散々迷惑をかけて、職務の負担を軽くしてもらい、1年で異動させてもらい、今の職場へ。
昇進も遅れ、完全に負け組です。
まさに僕が僕でなくなった訳です。
歌詞では「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」の次にこう続きます。
「正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで」
やや拡大解釈かもしれませんが、自分なりの価値観を見つけたら、負けるのも選択肢だと僕はこの歌詞の意味を理解しました。
あの時、がむしゃらに仕事を続けていたらどうなっていたでしょうか?
もちろん、何とか対応して、立派にやっていたかもしれません。
ただおそらく、楽しみや趣味を犠牲にして仕事漬けになっていたでしょう。
最悪の場合は、ストレスでぶっ倒れていたかもしれません。
そうなったら、今の何倍も僕が僕であることができなくなっていました。
自分の本当に大切なものを守るために、そして僕が僕であるために、負ける、逃げることも全然ありだと思います。
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